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2010年12月14日 (火)

表現の自由と選択の自由

これは、私もひとこと書いておきたい。

今回の都条例、とんでもないものが通ってしまったものである。
まさに、ブラッドベリの「華氏451度」や、映画「リベリオン」の描く世界の始まりだ。

どういう表現が今回規制されるか、という問題ではない。
「表現の自由」を法によって規制する、というのは、言語道断のことなのだ。
憲法違反ではないのか?

作家でありながら、しかも、どちらかといえば、当時としては過激な表現の作品を書いていながら、こういうことを平気でやるという神経が、わからん。所詮、三流のクズ作家だったということだろう。

日本国民には、表現の自由が権利として保障されており、それが不愉快だというなら、選択しない自由と権利が保障されている。
そして、その表現に対して、気にくわないなら、批判する自由と権利が保障されている。

表現することそのものを「法」によって規制するなど、ファシズムであり、言論統制以外のなにものでもない。

彼は、戦争前夜の日本に戻す気か。

今回の都条例の規制内容も、非常に主観的で、曖昧なものだ。
摘発する側のさじ加減で、何とでも解釈出来てしまう。
そもそも、表現という主観的なものを規制するのだから、当然、そうなる。
この条例を厳密に適用してしまえば、「源氏物語」だって規制対象なのだ。
不倫しまくっとるわけだし、未成年の児童も犯してるしね。
(「慎重な運用が必要」なんて付帯決議は無意味だ。「慎重に考えた結果」とかなんとか言えば、そもそも範囲がさじ加減次第なんだから、何とでもなってしまう)

このようなものを、どのような表現に対する物であれ、一度通して前例を作ってしまったら、歯止めはきかなくなる。
誰かにとって都合の悪い表現は、大きく騒ぎ立てさえすれば、それが何であれ、法によって規制出来る、ということになる。

不愉快だったり不都合だったりする表現は、選択しない自由と権利で処理すべきだ。
そこに法など、持ち込んではならない。

大体、昨今の、「何でもかんでも気にくわないものは法で規制しろ」という風潮は、何なのだ。
法で規制するということは、生活に権力が介入してくる、ということだぞ。
「自分には関係無い」ではない。回り回れば、必ず自分にも関係してくる。

なんでもかんでも「国が」というのは、やめるべきだ。
それは、国民の自由、そして自分の自由を、国家に売り渡す行為に他ならない。

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