立川談志師匠が亡くなった。
「60過ぎたらねぇ、死ぬことを考えて生きなきゃ、ダメなんですよ。いつ終わっても、おかしくねぇんだから。それが、知性ってもんだ。60過ぎても、いつまでも生きたいなんて言うのは、そりゃ、欲望ってぇんだよ」
「早すぎる最期」とか、残された者はついつい言ってしまうものだが、談志師匠なら、「いくつで逝こうが、俺の勝手だろっ。どう生きたかってのが、大事なんだってーの」と、一喝されそうだ。
どこかのインディアンの言葉でも、「死を横目に見ながら生きるのが大事だ。死を畏れ、死に支配されてはいけない」というようなのがあった。
死を正面に見据えて、それを避けるのではない。死を「横目に」見つめつつ、前を見て進め、ということだと、私は思う。
死が横に来て、耳元で時が来たことをささやく時まで、前向いて戦え、ということなのだ。
死の方ばっかり見て、死の機嫌を伺い、死のことばっかり考えて生きてても仕方が無い。そんなんじゃ、死に支配された人生だ、ということじゃないかね。
どんなに避けても、死は必ずいつか、その時がくれば、やってくる。
何が何でも死を先延ばししよう、永く生きようとするあまり、それ自体が目的化してしまったら、そりゃ、単なる長生き競争になりかねない。
そうしたい人はそうすれば良いのだが、それを望まない人にまで、それを強要してくるような空気が、今の世界にはあふれすぎているような気がする。
自分を空しくしてまで、長生きするもんじゃねーよな。
そんなことより、充実した人生だと、自分で思えるように生きることの方が、重要じゃねーだろか?
自作の戒名は「立川雲黒斎(うんこくさい)家元勝手居士」だそうだ。
最後まで本当に破天荒、風雲児としての「立川談志」を全うされたのではないか。
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