日記・コラム・つぶやき

2011年11月24日 (木)

まくら

えー、昔から、お前百まで、わしゃ九十九まで、なんてことを申しまして、自分も長生きしたいし、自分の家族には、もっと長生きして欲しい、てのが、人情ってもんなんですなぁ。

生き様、死に様、なんてことを言いますけど、ほんと、人の生き死にってぇのは、やっぱり、大変なことでしてねぇ。

先日も、落語界の暴れん坊、立川談志師匠がなくなりましたけどね。いや、ほんとに、大変惜しい方を亡くしたわけなんですが。

しかしまぁ、私なんぞは直接お会いしたことはありませんがね。聞くところによりますと、あの方、「60過ぎたらねぇ、死ぬことを考えて生きなきゃ、ダメなんですよ。いつ終わっても、おかしくねぇんだから。それが、知性ってもんだ。60過ぎても、いつまでも生きたいなんて言うのは、そりゃ、欲望ってぇんだよ」なんてことをおっしゃってたみたいで。

まぁ、ほんとに近頃少なくなった、物のわかった方だったんだなぁ、って思いますなぁ。

しかもまぁ、それが、なんかの大病したときの、お医者様と一緒の記者会見で、煙草吸いながら、そんな話してたってんですがね。
「煙草、良いんですか?」って、聞かれた師匠、「今さら止めたって、治るわけじゃねぇんだから、良いんだよっ! 大体、煙草止めるだの酒止めるだのってのは、意気地なしのやることだって、俺ぁ言ってんだけどね」ってなことを言ってたそうで。

いやいや、長生きが悪いってんじゃないですよ。そりゃ、長生き出来るってのは、良い事なんですがね。でも、何より、最期まで幸せに生きるってぇのが、肝心なんじゃあねぇのかってぇことだと、私なんぞは思うんですかね。

ほんとに、どう生きて、どう死ぬか、ってぇ話では、その人次第なんだと思うんですが、ほんと、あの方は、たいそう気持ちの良い生き様を見してくれたんじゃないかと、私なんぞは思ってるんですがね。

まぁ、そうかと思えば、世の中、健康ブームっていうんですかね、長生き競争みたいに、あれは体に良い、あれは体に悪い、ってんで、たいそう気になさる方も多いみたいで。

なんでも、走るのが体に良いってんで、マラソンとかいうのが、最近の江戸では人気があるそうなんですな。

江戸のマラソン大会なんてなりますと、もう、老若男女、こぞって集まって、中には妊婦や、たいそう太ったお方なんぞも走るそうでして。

私なんぞの聞いた話ですと、偉いお医者様が言うには、フルマラソンなんてものは、健康には、かえって良くないってことなんですけどな。まぁ、何事も、ほどほどが良いもので、度を過ごしたら、良くないってことなんでしょうな。

先日の江戸のマラソン大会では、何でも体重が130キロ以上もある芸人さんが参加したそうで、そしたら、やっぱり無理は良くないんでしょうな。心臓に負担がかかって、心臓発作なんですかね。倒れてしまって、生き死にをさまようくらいの大変なことになっちまったってぇことなんですな。

江戸の御奉行の石原様も心配して、「デブは走っちゃいかん」なんてことをおっしゃったそうなんですが、そしたら、世の中ってのはわからんもんですな。普段、デブは体に良くないとか、デブは不摂生で自分に甘いからだ、とか言ってそうな方々が、そろって、「人権侵害だ」とか、「デブを差別するな」とかってね・・・。いや、あんたたちの方が、普段、よっぽどデブを差別してるんじゃないかなんて思うんですが、まぁほんとに、今の世の中、難しいもんで。

ただまぁ、御奉行の石原さんも、何て言うんですか、昔から、思ったことをそのまま言っちゃうという、少々困ったお方なんですな。

亡くなった談志師匠も、これまたいい勝負で、その石原さんに向かって、「あんたもそろそろ、死ぬ時の事、考える歳だろ。もう、いい歳なんだから、いつ死んだって、おかしくねぇんだからさ」なんてことを、面と向かって言ってたそうなんですが。

まぁ、何にいたしましても、何事も、ほどほどにするがよろしいようで、その辺のことを、昔の人は偉いもんですな、中庸、なんてな言葉で言ってたようです。

良いことも悪いことも、ほどほどに。どんなに体にいいことでも、度を過ぎれば、毒になる。根を詰めすぎると、結局は、良いことはないてぇことですな。
たまにゃあ、寄席にでも来て頂いて、落とし話でも聞いて頂き、大いに笑って浮き世のうさのひとつもはらしていただければ、私どものお財布の方も、助かるてぇもんでして。まぁ、なにとぞよしなにお願いいたします。

まぁ、最近じゃ、ストレス、なんていうふうに言うみたいですな。「ストレスは万病の元」ってなことで、ま、これも、世の中が難しいことばかりになっちまったせいなんですかな。

最近じゃ、お上の方では、TPP、なんてので騒ぎになってるようですな。
TPP、知ってます? 何でもね、環太平洋戦略的経済連携協定ってので、略してTPPなんだそうで。・・・どこをどうすると、TPPになるのか、そっちの方がよくわかんないんですが。

まぁ何にしても、なにやらぶっそうな名前ですな。

最近の親御さんも大変で、こんなのを子供に聞かれちゃうわけですよ。

「ねえねえ、おとっつあん、TPPって、なに?」

「なんだおめぇ、TPPもしらねぇのか。しょーがねーなー。よし、おとっつあんが教えてやろう。TPPってのはな、秋元康って偉い先生が作った、近頃はやりの女性アイドルグループでな、選挙とかジャンケンとかやってな、だれが真ん中に立つかをきめたりするんで有名なんだよ。よーく覚えとけ」

「・・・おとっつあん、それ、AKBだよ」

ってなこともあるみたいで・・・いや、これ、私の作り話じゃござんせんよ。先日のニュースでやってたんで、ほんとのことなんじゃないですかね。・・・まぁ、最近は、ニュースってのも、あまり当てになりませんが。

それにしましても・・・・え? まくらが長い? いい加減に噺に入れと?
いやいやいや、まぁ、そうなんですけどね。

私ね、今日は、「粗忽の使者」を演る予定だったんですけどね、ここ座ったら、用意しといたまくら、すっかり忘れちまって、とりあえず話し始めたんですが、これがまぁ、どうやっても噺に繋がらなくってね、私も困ってんですよ。

なにせ、演ってる当人が、いちばん粗忽だったってなわけでして、いや実に困ったもんでして・・・。

ほんとにまぁ、そんなこんなで・・・・え? あぁ、師匠がお着きになった?

そんなわけで、三途の川で、何でも渡し賃のことでいろいろお揉めになってたらしくて、遅れてらした談志師匠がお着きになったようですんで、私の「粗忽の使者」は、またの機会ということで。

へ?何でお前みたいなヘタクソが、談志の前座を務めてるんだと?
いやいや、それが師匠方が、はやく談志の顔が見たいって、皆さんおそろいで、三途の川まで、総出でお迎えに出てしまったもんで、私みたいなのしか残ってなかったんですよ。すいませんねぇ。

談志師匠、本日の出し物は、「地獄巡り」だそうですよ。

この噺は、江戸前では「地獄巡り」ですが、元々は上方の噺でして、そっちの方では、「地獄八景亡者戯』(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」と申します。米朝師匠が、十八番にされていた噺でございますな。

まぁ、題名の通り、地獄のお話なんでございますが、その中で、あの世の寄席の前を通る場面がありましてね。

で、ここの所で、もう亡くなった古今の名人の噺家のお名前を並べるのが常なんですが、そん時に、まだ生きてる名人を、「近日来演」って言って、並べるんですよ。
米朝師匠は、そこで自分の名前を出しなすって、「米朝、近日来演」と、やられてたらしいんですが。

それで、江戸前ですと、ここ最近では、談志師匠のお名前が出るってのが流行ってたらしいんですが、本日、めでたく・・・いやいや、あの世にいらしたのをめでたがっちゃいけませんがね、ご当人が来演という運びになりました。

それにしても、談志師匠が「地獄巡り」を演られてたってのは、覚えがないんですがね。
師匠、亡くなる前は、自由にしゃべることも出来なかったってことですから、あの世にいって、しゃべれるようになったら、思いっきり大ネタをやってやろう、そうだ、どうせあの世で演るなら、地獄巡りがいいやってなもんで、病の床で、準備されてたんじゃないですかな。

ということで、お後がよろしいようですんで、私の方は、この辺で。

最後まで、どうぞごゆっくりとお楽しみ下さい。

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2011年11月23日 (水)

立川談志師匠が亡くなった。

「60過ぎたらねぇ、死ぬことを考えて生きなきゃ、ダメなんですよ。いつ終わっても、おかしくねぇんだから。それが、知性ってもんだ。60過ぎても、いつまでも生きたいなんて言うのは、そりゃ、欲望ってぇんだよ」

とは、以前の病状会見での談志師匠の言葉なのだが、本当に言い得て妙だと、思う。

「早すぎる最期」とか、残された者はついつい言ってしまうものだが、談志師匠なら、「いくつで逝こうが、俺の勝手だろっ。どう生きたかってのが、大事なんだってーの」と、一喝されそうだ。

どこかのインディアンの言葉でも、「死を横目に見ながら生きるのが大事だ。死を畏れ、死に支配されてはいけない」というようなのがあった。

死を正面に見据えて、それを避けるのではない。死を「横目に」見つめつつ、前を見て進め、ということだと、私は思う。

死が横に来て、耳元で時が来たことをささやく時まで、前向いて戦え、ということなのだ。

死の方ばっかり見て、死の機嫌を伺い、死のことばっかり考えて生きてても仕方が無い。そんなんじゃ、死に支配された人生だ、ということじゃないかね。

どんなに避けても、死は必ずいつか、その時がくれば、やってくる。
何が何でも死を先延ばししよう、永く生きようとするあまり、それ自体が目的化してしまったら、そりゃ、単なる長生き競争になりかねない。

そうしたい人はそうすれば良いのだが、それを望まない人にまで、それを強要してくるような空気が、今の世界にはあふれすぎているような気がする。

自分を空しくしてまで、長生きするもんじゃねーよな。
そんなことより、充実した人生だと、自分で思えるように生きることの方が、重要じゃねーだろか?

自作の戒名は「立川雲黒斎(うんこくさい)家元勝手居士」だそうだ。

最後まで本当に破天荒、風雲児としての「立川談志」を全うされたのではないか。

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2011年11月16日 (水)

易経というのは、わりと合理的な・・・

前の記事で、易経に触れたので、ちと広げてみる。

易経ってのは、いわゆる、あのたけひごの束みたいなので占う、あれなのだけど、あの考え方ってのは、結構面白いなぁ、と、思っている。

易経というのは、私のざっくりとした理解では、「人間というものが、運命という波にゆられて生きているものであるならば、そのある状態のときのある人が引き当てた卦(たけひごを何回か引いて・・・・ちうか、分けて、現れた相)には、その人の現在ある状態が反映される」という仮説に基づいて、現在のその人の周りの運命の波の状態を読み取ろうという感じの占いといったようなもんか。・・・私の勝手な理解なので、鵜呑みにはしないでね・・・。

この占いは、運命の波的なエネルギーの流れというのがあるという前提で考えると、けっこう面白い考え方だと思うのだ。

ただね、ここに、私が占い全般に関して抱く疑問が、立ちはだかる。

その「卦」ってのは、誰に出ても同じ意味を持つのか?っという疑問。

卦、とか、相、ってのは、「ある力を受けて浮かび上がるシンボル」だと思うんですわ。
つまり、その人の状態を表す、記号化された模様。

ただ、そのシンボル、個人差って、無いの?ってことなんです。

たとえば、古典的な精神分析学の、フロイトの夢分析。
夢に現れるシンボル別に、それの持つ意味を体系化したのは良いのだけど、多分、サンプルが、お堅いカトリック教徒だったり、中世の抑圧された人々が多かったせいか、結局全体的に「幼少期の性的抑圧」を原因としてしまったんではないかと・・・。方法論は、間違ってないと思うんですけどね。

夢分析に限らず、精神分析学というのは、患者の精神状態を、さまざまな方法で読み取ろうとする分野で、夢を分析したり、絵を描かせたり、逆に絵を見せて何を連想するか、といったところから、患者の精神状態の「卦」を読もうとするわけなんですよ。

で、同時代の心理学者のユングは、フロイトを尊敬し、その手法によって治療をしていくうちに、フロイトの体系科した「卦」が、人によって、うまく当てはまらないということから、「これ、個人差があるんぢゃね?」ということで、考え方や手法としては認めつつも、そこに現れたシンボルが、その人にとって、どういうサインかを対話から個別に読み解くという方法に移行していったわけなんです。

私的にも、ユングの考え方の方が合理的な気がするんですな。

調べるうちに、ユングも、全てのシンボルが、人によって、完全に個々にばらばらではないということにも、気づくわけなんです。
多くの人にとって、あるシンボルが同じ意味を持ち、同じサインとなるパターンも多い。
これを、個人的無意識と集合的無意識という分け方に分類したんですな。

さて、心理学者の系譜からいえば、次は当然、ヴィルヘルム・ライヒのオルゴンエネルギーとクラウドバスターについて語らないと・・・・って、いや、これは大幅に趣旨から逸脱するので、興味があったら、Wikipedia等で各自調べるか・・・・ま、とりあえず、こちらをどうぞ。


・・・今、久しぶりに、このケイト・ブッシュのPV観てて、今更初めて気がついたんだけど、このライヒ博士を演じてるのって、ドナルド・サザーランド(キーファー・サザーランド=ジャック・バウワーのお父様)やないかっ!
うーん、今まで、ぜんっぜん気がついてなかった。

・・・・ってまぁ、それはともかく話を戻すと、精神分析学と易経では、やや性質が異なるとはいえ、やろうとしてることは、結構似ている部分もあるな、と、思うわけなんですよ。

直接観ることの出来ない、「運命の流れ」なり、「患者の精神状態」なりを、それから派生し、描かれる模様から読み取ろうとする、最初の部分の考え方の部分では。

ということは、精神分析学におけるシンボルの捉え方と同様、易で現れる「卦」にも、差異もあるだろうし、読み手によっての解釈もあるしで、なかなか、定量化は難しいんではないかなぁ・・・なんてことをつらつら考えてたわけでした、というお話。

まぁ、派生して、もう一つ考えるのが、「運命」というのは、エネルギーなのか。
ついでに、そうだとしたら、「粒子」なのか「波動」なのか。
もし、そういったことなら、「占い」という、その状態を「観察しよう」とする行為のエネルギーによって、状態が変化してしまうことはないのか?

・・・・いわゆる、「ラプラスの鬼」のジレンマというやつですねw。
観察するには光が必要だが、光を当てることによって状態が変わる・・・。

ま、そんなこんなで、考え出すと、きりがないし果てもないので・・・・。

とりあえず、自分に来ている流れというのは、占いという形ではなくて、身の周りに起きるサインから読み取るようにしていく方が、確実なのかなぁ、ということで、私は、その方向で気をつけてます。

しっかし、ドナルド・サザーランドさんだったとは・・・。
あの人、「ボディ・スナッチャー 」(SFの古典的名作、ジャック・フィニイの「盗まれた街」を映画化したもの)で主演してて、この役がものすごく印象的で、それ以来、妙に好きなんですよ。むちゃくちゃクセのある怪優なんですが。

・・・この映画も、ジャケットが何なので、なんかゲテゲテのホラーに見えるけど(↓こんな感じ)、内容は、とってもちゃんとしたSFで、それも、けっこう隠れた名作なんですよー。

そういえば、ドナルド・サザーランド氏は、その後、スペース カウボーイ にも出てましたね。
すっかりおじいさんになってて、ちょっとびっくりしたんですが。

そうそう、スペース カウボーイ といえば、主演のクリント・イーストウッド

ダーティーハリーとか観てた頃は、まさかこんな天才的な映画監督の才能があるなんて、想像も出来なかったんですが、今では私的にも、本当に大好きな映画監督ですね。

ジャズミュージシャンのチャーリー・パーカーを描いた、バード って映画を、何も知らずに観て、これ、すごいなーと思って、監督誰だろうと思ったら、クリント・イーストウッド
ほんと、とても失礼なことに、最初、同姓同名の人違いかと思いましたわw。

今や、ハリウッドでは希少な、骨太な傑作映画を撮れる、押しも押されぬ名監督ですけどね。

・・・って、ずいぶん脱線しとるなw。

まぁ、今日の所は、そんな感じでw。

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2011年11月15日 (火)

神仏には、自分でどうしようもない所までは頼りません。・・・ってか、頼ったら、何とかしてくれるもんなんですかね?

私も、科学的に解明出来ないことは信じないというスタンスではない。
ただ、そういうものに関しては、「否定はしないが、あてにもしない」というスタンスなのだ。

そのあたりのことを、この記事、ちょうといい塩梅で、説明してくれてる。

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パワースポットにハマるのは、実は自信がない証拠?
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大体に於いて、巫女体質だの何だの言う人というのは、お告げやら何やらを、ひっじょーに自分の判断に都合良く利用してるだけの方々が多い気がする。

なので、結局の所、お告げでも導きでもなく、単に自分の我欲の向く方向性にのみ忠実に、単に突っ切る「口実」として、自分に都合良く、立証不能な「お告げ」を利用しているだけの人が多いと思う。

本当に、自分を取り巻く世界で、丁度今、自分に風が来ているのに、実は我欲の方でいっぱいいっぱいで、結局、それを見失う人が、とても多いような気がする。

何か、「後ろの人が、そう言った気がした」とか、その程度の薄弱な「お告げ」を基準に物事の選択をするんだったら、あんたの意志や主体性、経験に基づく判断というのは、どこにあるんだ?というのが、私の考え方。

というか、検証不能だからこそ、本人自体が、なんか読み違って、変な方向に行っちゃってるんぢゃねーか?という感じを受ける場合が多い。

なんかね、本当に、自分が導かれてるとか、自分に何かが求められてるな、というのって、もっと、ふとした瞬間に、もっと具体的にやってくるものだと思ってるんですよ。

自分が自分として、精一杯考えて、いっぱいいっぱいになって限界まで最善を尽くして、自分の信じたことに精進して、出来ることは全てやり尽くして、ちゃんと自分の価値というのを自分で築いた結果、最後の最後にやってくるもんじゃないかね。そういうのって。

私の経験的には・・・7トンのパワーショベルのキャタピラの下敷きになっても死ななかった時とか、軽自動車を運転してて、2台の乗用車を巻き込んで廃車にする大事故になっても死ななかった時とか、雨の日にライブハウスの階段で滑って転落し、荷物ごとドア止めに置いてある石に頭から突っ込んでも死ななかった時に、「あぁ、私にはまだ、やらなきゃならないことがあるらしい」と、さすがに感じましたけどね。
まぁ、どれも、私の努力や能力とは、全く関係ないけどw。

ヨーロッパの宗教ならともかく、亜細亜の宗教は、誰かの言うことを信じてりゃ導いてくれるなんて、そんな甘いもんじゃないっすよ。自分で考え、自分で苦労して自分で見出さなきゃ、悟りなんて、得られないんだから。

あ、でもね、これ書く前に読んだ、友人のRenさんの、こういう感じ体験てのは、けっこうあるんですよ。

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うまい事いうなぁ、と思ったのは
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人や物との、妙に運命的な出会いとか、必要なタイミングで必要な何かが現れるとか、流れが来た時って、そういのは、結構あるんですよ。
易で言う、卦、的なものなんじゃないですかね。
そういう、もっと素朴な、自分を取り巻く流れ、波みたいなものは、確かに感じることはあります。
運命なんて、そんな大それたものではなくて、ね。

何にしてもね、自分で自分の能力を高めようともしない。努力もしない。単に「天から授かった」と称するものを当てにして、でも、それを磨こうともせず、単に超常的なものに頼るのみ。そういう人たちって、そんなんで、何か特別なことが成せると、本気で思ってるんでしょうかね?
何か、特別に選ばれた天の子ですか、あんたは?
そんなの、どっかのロールプレイングゲームじゃあるまいし。
普通、何の努力もなく、ある朝突然「伝説の勇者」になんて、なれませんよ。

結局、何の努力も無しに自分の価値観を磨くこともなく、それらを放棄して判断を神仏やら超常現象やら超感覚にゆだねる人間なんて、単に甘ったれてんだと、私は思いますがね。

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2011年10月17日 (月)

iPhone4sなんて、うらやましくないもん。

いいもん、3Gから、やっと4白に機種変更したばっかだもん。
そんなに変わってないから、いいもん

3G買った時も、すぐに3GSが出ちゃったけど・・・
いいもん、このタイミングで4Sが出るのなんて、4にするか悩んだ時点で想定内だったもん

カメラの性能が大幅アップとか、CPU性能がアップとか・・・別にうらやましくないもん


・・・・ソフトバンクが、iPad2 3G用の特別コースを用意してくれたんで、月々の支払額が、iPad2を普通に分割払いした金額と同じで買えちゃうみたいなんだけど・・・。

ようするに、iPhoneを使ってるひと向けに、3Gで使わずWifiだけで使用してれば、月々の基本料が差し引き本体の分割金額のみみたいな金額になるというもの。考えてみれば、iPadは現状ではまだCDMAに対応してないから、ソフトバンク固有の強みを生かしたキャンペーンなのだ。

でもでも、来年早々に大幅性能アップしたiPad3が出るという噂もあるので、ひっじょーに悩ましいわけなのだな・・・。

ios5へのアップデートも、非常に悩ましいところで、私は現状、まだアップデートをしていない。

問題は、iCloudなのだ。

私の使ってるマシンが、Snow Leopard とWindows XPで、どっちも現状、絶対にアップデートは出来ない。

iCloudは、どっちにも対応していないので、そうなると、mobile Meで現状問題無く使えている状況が、かえって不便なことになりそうなもので、しばらく様子を見るしかなくなってしまったわけなのだ。
※このへんについては、人柱のみなさまのプログ等で、まだ細かい点を調査中。

Windows機は、まず仕事に使う上でアップするわけにいかないし、Snow Leopardは、音楽製作環境として、サードパーティーのソフトのLion対応がまだ間に合っていないし、そもそも、メジャーアップデート直後の状態 で、OSにしてもソフトにしても、そんなに安定した環境になるとも思えないわけで。

・・・・で、まぁ、そんなわけで・・・。
iPhone4sもiPad2もios5も、まだまだ遠い私でした

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2011年10月13日 (木)

危機的状況

陸山会裁判については、本来、これが当たり前の反応だと思うのだが・・・・。

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以前にも書いたけど、これは政治家がどうのとか、そういう問題ではない。

「疑わしきは罰せず」「状況証拠は、いくら積み重ねても証拠にならない」という、民主主義・法治国家の裁判として当たり前の原則をねじ曲げた、客観的に検証可能な証拠がないにもかかわらず、「裁判官が疑わしいと思ったから有罪」という、気違いじみた判決を出した裁判なのだ。

だって、検察が当初提出していた、供述調書の大半について、「信憑性がない」と不採用にしておきながら、検察が提出もしていない証拠を判決理由に採用しとるんだぜ。もう無茶苦茶。

こんなもの、それこそ報道が、もっと非難しなければならないものなのだ。

・・・なのに、こういうまともな議論で報道してるのが、私が見た限り、テレビ・新聞系では、この「日刊ゲンダイ」のみ、という、薄ら寒い状況。

どこを見てても、「この裁判の結果が小沢被告の裁判に影響がどうの・・・」という論調。
アホか。前代未聞の、もはや憲法違反としかいいようのない判決なのに。本当に、この国のマスコミは、もはや腐り果てている。

この国、ほんとにもう、終わってるぞ。

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2011年10月 7日 (金)

あるロック・スターの死

以前にも紹介・・・しようとして、忘れてたみたいなんですが・・・。
Steve Jobs氏をロック・スターに例えた、IT Mediaのこの記事は、素晴らしい。

ロックスター、スティーブ・ジョブズの偽歴史

良くも悪くも、とても特徴的で、類を見ないキャラクターの強さを持った彼は、カリスマ経営者とか、IT業界の何とか、とか、そういう表現がしっくり来ないと、つねづね思っていた。

この記事を読んで、なんかすっきりとした。
そうそう、そういう存在だったんだよね。

MacintoshやiPod、iPhoneやiPadに息づく、その強い個性の目指した哲学や世界観。
単に環境としてのパソコンやスマートフォンとは一線を画す存在感と意志。
それらは単なるデバイスなのに、一部からは強烈に愛され、また、一部からは強烈に嫌われる。
多分、単なる単体の道具たちなら、そこまで愛されたり憎まれたりはしないんじゃないかな。

彼が目指したのは、それぞれの製品の善し悪しやら性能やらではなくて、それらがあることによって、人の生活に、どのような変化と驚きをもたらしたいか、というビジョンを描くことだったと思う。

要は、それらが総合して描かれる、スティーブ・ジョブズの提示する世界が好きか嫌いか、なんだと思う。

それって、つまり、「製品」ではなくて、「作品」ってことなんじゃないかな。

そんだけ個人的な夢と哲学の実現に徹してて、世界一の資産価値の会社を育て上げちゃった人間なんだもの。存在として、確かにジョン・レノンやマイケルジャクソンの系統であって、ビル・ゲイツとかじゃないと思うよ。

なんにしても、時代を駆け抜けた偉大な才能が、天命を終えた。

今は、これまでに見せてくれた素晴らしいパフォーマンスに心から感謝し、冥福を祈りたい。

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2011年10月 5日 (水)

自動で鳴り止むキッチンタイマーが欲しい

メーカーの開発者さんは、キッチンタイマーというものを、自分で使ってるのだろうか。
キッチンタイマーって、大体の場合は、時間が来たら何度か鳴って、勝手に鳴り止んでくれれば良いと思うのだが、何故か、そういう商品が、見当たらない。

大体、台所仕事というのは、水仕事とか生ものを切ってるとかなんかこねてるとか、手が使えない場合が多いのだ。
なので、ボタン押すまで鳴り止まないキッチンタイマーというものは、かなりの確率で、ひっじょうに迷惑なのだ。

実際、Webで検索すると、そういう製品を求める声も見かけるのだけど、そういう製品があるという話は、下のこれしかない。

これはこれでよさげなのではあるが・・・・どう見ても、ちと、時間のセットがやりずらそうだ。
カップ麺を作るのに3分とか5分をセットするんなら良いのだけど、排水溝に塩素系洗剤いれて30分セット・・・とかいう場合には、分ボタンを30回押すのか、それとも、長押しするのか・・・・どっちにしても、何十分とか何十秒とかのセットがやりにくそうなのだ。

それに、時間がくるとアラームを5秒だけ鳴らして勝手に停まってくれるのは良いのだけど、そのまま、最初にセットしといた時間で、もう一度カウントダウンを始めてしまう。
・・・というか、そもそもが繰り返しアラームするための製品なので、仕方が無いんだけど。

案外、キッチンタイマーとかこういう単純なものほど、メーカーも既成の製品をなぞるだけで、そんなもんだと思い込んで、肝心な所の改善が行われてないものなのかな。

そういうのって、ちょっとした工夫で、ビジネスチャンスというか、他商品との差別化になるような気がするのだけどね。

・・・どっか、作ってくれないかなぁ。

もし、そんな製品をご存じでしたら、是非教えて下さいね。

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2011年10月 2日 (日)

しばらく前のことになるが・・・。

中国で、スイカやらカボチャやらトマトやらの爆発が話題になってた頃の、久しぶりに会った古い友人達の会話・・・。

 「今度は、中国の軍事基地で、ミサイルが爆発したってよ!」

 「なんだってっ・・・・って、いや、驚かすなよ」

 「・・・へ?」

 「いや、すいかやかぼちゃなら珍しいけど、ミサイルなら爆発して当たり前じゃんか。それが仕事なんだから」

A 「あ、言われてみれば、そうだな」

 「ほんと、お前はバカだなぁ」

一同 「あっはっは」

・・・・いや、なんか違うからw。

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2011年10月 1日 (土)

アメピグで、部屋をライブハウスっぽく改装してみた。

まったく、我ながら、あほなことに無駄遣いして・・・・。

Pigg_2

あとはこれで音声・音楽データのストリーミング配信なんぞが出来るなら疑似ライブや疑似DJイベント的なものも可能になるので、ピグのイベントっちゅうのが、我々にとってもなにげに意味が出てくるのだが・・・・。

ま、とてもあのサーバーが、そんな負荷に耐えられるとは思えないんですけどね。

それはそれとして・・・。
アイテムで、ピアノ以外のキーボードが欲しいものだ。
あと、PAミキサーとか、ギター・ベースアンプとか、エフェクトラックとか・・・。

・・・いや、そんなもん、高い値段で売られたひにゃ、それこそやつらの思うつぼだなw。

しかし、アメピグの部屋造りって・・・なにげに一種の箱庭療法的な・・・。

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