経済・政治・国際

2011年10月13日 (木)

危機的状況

陸山会裁判については、本来、これが当たり前の反応だと思うのだが・・・・。

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以前にも書いたけど、これは政治家がどうのとか、そういう問題ではない。

「疑わしきは罰せず」「状況証拠は、いくら積み重ねても証拠にならない」という、民主主義・法治国家の裁判として当たり前の原則をねじ曲げた、客観的に検証可能な証拠がないにもかかわらず、「裁判官が疑わしいと思ったから有罪」という、気違いじみた判決を出した裁判なのだ。

だって、検察が当初提出していた、供述調書の大半について、「信憑性がない」と不採用にしておきながら、検察が提出もしていない証拠を判決理由に採用しとるんだぜ。もう無茶苦茶。

こんなもの、それこそ報道が、もっと非難しなければならないものなのだ。

・・・なのに、こういうまともな議論で報道してるのが、私が見た限り、テレビ・新聞系では、この「日刊ゲンダイ」のみ、という、薄ら寒い状況。

どこを見てても、「この裁判の結果が小沢被告の裁判に影響がどうの・・・」という論調。
アホか。前代未聞の、もはや憲法違反としかいいようのない判決なのに。本当に、この国のマスコミは、もはや腐り果てている。

この国、ほんとにもう、終わってるぞ。

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2011年7月12日 (火)

東京大停電

これは、私の知人の説なのだが・・・。

霞ヶ関あたりにウジャウジャ取り憑くウジ虫どもが、原発再稼働とこれまで通りの原発推進を狙って、近日中に首都圏で、電力不足を「装って」、大停電を起こすのではないか、ということだ。

これは確かに、あのウジ虫どもなら考えそうなことだ。
原発がないと電力が足りないという、実に効果的で徹底的な「刷り込み」になるものね。

そんなことを「意図的に」起こすなら、当然、これは重大な犯罪だ。テロと言っても過言ではない。
重大な事故が起きるだろうし、それによって人も死ぬだろうし。
でも、あの自分たちの利権のためなら何でもするウジ虫どものことだ。そのくらい、平気でやりかねない。
実際、通常であれば、これだけの重大事故を起こしてる会社なのだから、強制捜査くらいされてても当然なのに、東京電力には、いまだにそういった調査は行われていない。
そんなことをされたら都合のわるい奴らが、権力層に多く存在するからとしか考えられない。
だから、当然、こんな大停電計画を実行したとしても、単なる事故として処理されるだろうし、捜査なんぞも入らないだろう。・・・いや、一応、アリバイ作りに協力するような意味で、形だけ入るかもね。

ということで、近日中に、「演出としての」首都圏での大停電が起きるかもしれない、ということを、ここに一応覚え書きとして書いておこう。

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2011年7月 5日 (火)

理性的な話し合いの限界

私は、基本的に理不尽な話というのが、嫌いだ。
何事も理性的かつ論理的に、筋を通すべきだと思っている。

が・・・・。

理性的かつ論理的に話しが出来ない奴が相手の場合には、もう、どうしようもない。

嘘ばっかりついて、自分の都合でデータを改竄し、詭弁を繰り返し、メディアに手をまわして嘘の論理を洗脳のように繰り返し放送させるような輩が相手を駆逐する場合、話し合いなどする価値もないし、意見を聞く意義もない。

ということで、私個人のスタンスとしては・・・。

原子力なんぞ、未だに推進しようとしてる原子力村とかいうのに生息する奴らと、それに荷担する人間については、十把一絡げに、「ゴキブリ、ダニ、アブラムシ、ウジ虫、またはそれらに類するもの、あるいはそれ以下の存在」と、これからは考えることにした。

あいつらを排除するには、ほんと、まともに話なんぞ聞いていても仕方がないぞ。
基本的に、自分の利益のためなら、国民がどんだけ死んでも関係ないという人々だから。
もう、彼らに関しては、非論理的でドラスティックで感情的な差別意識を持って、対処すべきだと思う。
理性的で論理的な話なんぞ、相手が嘘で塗り固めてくる以上、成立しないのだから。
もう、感情的に排除していくしかない。

論理的な仮定としての「安全でクリーンなエネルギーとしての原子力」なんぞ、嘘で塗り固められた虚構だったことは、わかった筈だ。

日本国民は、もっと核アレルギー、原発アレルギーになって、良いと思うぞ。
拒否反応を示して良い筈だ。

原子力が、「本当は」もっと安全に運用可能かどうか、なんぞ、もはや意味のない議論だ。
日本は、「現実として」、原子力を「安全に」運用することなんぞ、こっけいなくらい、まともに出来てなかったのだから。
しかも、そんな状態で、「今まで通り」やってこうとしている勢力が、確実に、存在しているわけで。もう、「原子力村」なんて牧歌的な名称をやめるべきだろう。奴らには、「原子力マフィア」「原子力やくざ」「原子力ウジ虫」程度の呼称が適切だと言えよう。

本当に、とんでもない嘘つきが揃ってるもんだ。人間というのは、ここまで浅ましく、クズで、利己的になれるのかと、本当に感動するくらい、クズが揃ってる。

原子力に夢や可能性を信じ、純粋にそれらに取り組む科学者、技術者には、本当に申し訳ないとは思うのだが・・・そういう方々は、まず、周りに群がるウジ虫どもを、自ら駆逐すべきだと思う。

そうでないと、まともな話にはならんよ。永遠に。

そんな意味も含めて・・・かどうかは知らないけど・・・・。

私が個人的に、同世代を代表する、金勘定しか出来ないクズ野郎と思っている、某●天のだれかさんが、経団連を脱退したのは、とても大きな意義があると思う。

あの業突張りの単細胞の守銭奴ですら、そういう判断をするということは、つまり、現在の現場レベル世代では、「脱原発」は、トレンドになりつつあると考えて良いと思うから。

まぁ、私らの世代は、いわゆる「団塊の世代」に煮え湯を飲まされ続けてきた世代だから、下克上を狙ってるだけなのかもしれんけどね。

でも、損得で言って、「脱原発」の方に「得」があると、あの人一倍、金勘定しか考えてない男が判断するのだから、結構希望がもてるのではないかと、まじめに思う。

いいんでないかね。ブームでもトレンドでも世のながれでもアレルギーでも売名行為でも。
今回ばかりは、勘違いでも何でも、手段は問わず、原発推進派なんぞは、潰しとくべきものだと思う。

大体、日本という国は、「世界一の地熱発電の技術」を持っていながら、その許認可権を「原子力安全保安院」が持っているという、わけのわかんない構造の結果、原子力のみが推進されてきたという、クソみたいな現実を、どう考えるね。ほんと。

そもそも論理的に考えて、現在の状況で、原発を動かし続け、まして、増やしていく材料なんて、本当に絶対に全く無いと断言出来るのだから。

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2011年4月12日 (火)

政治的な問題には触れない方がスマート?

そういう感覚は、確かに私にもある。

実際、政治的な話題は、本来、ここでも避けてたわけだし。
私自身、音楽をやってる中で、すくなくとも自分が関わる音楽に政治的な要素が入るのは、むしろ嫌っているし。

ただ、現在の状況では、「政治的な話しなんて堅苦しいもんは置いといて」なんてことを言ってる場合ではない気がしている。

表現に多少なりとも関わる人間として、表現の自由が平気で蝕まれつつある状況で、何も言わないわけにはいかないのではないか?

声を上げていかないと、本当におかしなことになっていきそうな危機感を感じている。

堅苦しい話は置いておいて、気楽に音楽の話だけ、という気分には、とてもなれないのだ。

それを音楽でやる気は無いし、そういう問題ではないと思うけど、表現に関わるんなら、少なくとも、「表現の自由」だけは、なんとしても守りましょうよ。

そのためには、きちんと言うべきことは言ってかないし、警鐘は鳴らし続けなければならないのではないかと思ってます。

分野は異なれど、「表現物」に、官憲による検閲が入るようなことが、平気でまかり通るような状況が、今、現実に始まってるんですから。

草の根レベルから、問題意識を持たないと、本当にどうしようもないことになります。
何せ、有権者の60%近くが「選ばなかった」ことによって、あんなファシストが再選してしまうような状況なんですから。
(わたしゃ、残念ながら都民ではないんですが、東京都の知事ってのは、他の自治体にとっても影響力デカイので、ああいうのが再選しちまうって、ほんとに迷惑なんですよ)

たかがインディーズ音楽界の、しかも裏方みたいなものの私に影響力なんて皆無ですが、とりあえず目の前の数人にでも、言っておかなければならんと思うことは、これからも言ってくつもりです。

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2011年2月 4日 (金)

エジプトの革命

エジプト出身のタレント、FIFIさんのブログ記事を読んでいて思った。

エジプトの夜明け~新たな一頁

エジプトの夜明け~ムバラク支持派の正体

ほんと、日本のマスコミは、どうなっとるんだ?
沢尻エリカが離婚したのしないのばっかり報道しやがって。
誰があんなもんに興味持ってるんだ?

チェニジアのジャスミン革命にしても、エジプトの現在の争乱についても、肝心なことは、ろくに報道されていないというのが不思議だ。
最新ニュースでは、せいぜい、エジプト情勢の悪化に伴って、国際的に原油価格や株価に影響が出始めている、といった程度で、あくまでも暴動程度の扱い。
Wikiリークスについても、単なる暴露サイト的な扱いしかされてないし。

坂本龍一氏も、Twitterで、海外のニュースで報道されるエジプトの状況について、頻繁に紹介していて、「このニュース、日本で、ちゃんと報道されてるんだろうか」と書いていたが・・・。
海外メディアでは、大きな時代の動きになるかも、といった扱いっぽいのに、日本では、沢尻や海老蔵より小さな問題らしいです。

前述の記事については、エジプトの人から観た状況というのが、とてもわかりやすく書かれているので、是非読むべきだと思うな。

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2010年12月14日 (火)

表現の自由と選択の自由

これは、私もひとこと書いておきたい。

今回の都条例、とんでもないものが通ってしまったものである。
まさに、ブラッドベリの「華氏451度」や、映画「リベリオン」の描く世界の始まりだ。

どういう表現が今回規制されるか、という問題ではない。
「表現の自由」を法によって規制する、というのは、言語道断のことなのだ。
憲法違反ではないのか?

作家でありながら、しかも、どちらかといえば、当時としては過激な表現の作品を書いていながら、こういうことを平気でやるという神経が、わからん。所詮、三流のクズ作家だったということだろう。

日本国民には、表現の自由が権利として保障されており、それが不愉快だというなら、選択しない自由と権利が保障されている。
そして、その表現に対して、気にくわないなら、批判する自由と権利が保障されている。

表現することそのものを「法」によって規制するなど、ファシズムであり、言論統制以外のなにものでもない。

彼は、戦争前夜の日本に戻す気か。

今回の都条例の規制内容も、非常に主観的で、曖昧なものだ。
摘発する側のさじ加減で、何とでも解釈出来てしまう。
そもそも、表現という主観的なものを規制するのだから、当然、そうなる。
この条例を厳密に適用してしまえば、「源氏物語」だって規制対象なのだ。
不倫しまくっとるわけだし、未成年の児童も犯してるしね。
(「慎重な運用が必要」なんて付帯決議は無意味だ。「慎重に考えた結果」とかなんとか言えば、そもそも範囲がさじ加減次第なんだから、何とでもなってしまう)

このようなものを、どのような表現に対する物であれ、一度通して前例を作ってしまったら、歯止めはきかなくなる。
誰かにとって都合の悪い表現は、大きく騒ぎ立てさえすれば、それが何であれ、法によって規制出来る、ということになる。

不愉快だったり不都合だったりする表現は、選択しない自由と権利で処理すべきだ。
そこに法など、持ち込んではならない。

大体、昨今の、「何でもかんでも気にくわないものは法で規制しろ」という風潮は、何なのだ。
法で規制するということは、生活に権力が介入してくる、ということだぞ。
「自分には関係無い」ではない。回り回れば、必ず自分にも関係してくる。

なんでもかんでも「国が」というのは、やめるべきだ。
それは、国民の自由、そして自分の自由を、国家に売り渡す行為に他ならない。

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2010年10月20日 (水)

軽自動車税を4倍に増税だとぉ?

政治的な内容とか、腹の立つ内容は、ここで書く気は無かったのだが・・・。

軽自動車税を4倍に増税だとぉ?
エコカー減税やら補助金やら出して、さんざん車かわせといて、何ふざけてんだ。

もう、本当にどうしようもなく、腐ってやがる。 何がマニュフェストの実現だ。 高校を無償化し、高速道路を無料にし、その他、無駄遣いの嵐を実現するために、どさくさにまぎれて片っ端から増税しやがって。

もう、いい加減にしてほしい。 実務能力が無いなら、とっとと政権を他に移譲しろ。

リンク: ベテラン議員「菅は鳩山政権を見て戦意喪失し既得権に屈服」 - 速報:@niftyニュース.

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