音楽

2012年5月25日 (金)

金環食と初めてのシンセサイザー

先日のGoogleのトップ画面のmini moogと、先日の金環食。
非常に個人的に感慨深いものがありまして・・・。

中学2年生の時の、私の、ある意味で人生の分岐点となった選択。
それは・・・それまでお年玉等で貯めてた貯金で、天体望遠鏡を買うか、シンセサイザーを買うか、っちゅうことだったんすけどw。

天文学とかも、興味あったんすよ、結構。
シンセサイザーのカタログとビクセンのカタログ、両方並べて穴が開くほど研究してましたな。
で、結局、ビクセンの反射式天体望遠鏡を振り切って、シンセサイザーの方に傾き、色々な大人の事情にも左右されつつ、KORGやRolandを振り切って(YAMAHAは、CS-10触った段階で嫌いになったので候補から外しましたがw)これ買ったんですが。

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以前にも、このブログでも触れた、ACE TONE の PS-1000。
一説によると、Roland創業者の方が、Rolandを始める前にACE TONE(日本ハモンド)ブランドのために設計したモデルらしいのですが、確認は取れていません。まぁ、不人気機種でしたし、超レア品です。
その昔、私がびっくりするほど名器を山ほど所有してるマニアの方に、「フェアライト持ってるって言われても驚かないけど、PS-1000持ってるというのには、びびりました」と言われたことはありますがw・・・そういう、超マニアックな機種です。

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その後も、色々なシンセサイザーを購入したり手放したりしましたが、これだけは、中学生で手に入れてから現在まで、手放さずに所有してます。

この子のステージデビューは、中学3年生の時、ブラバンで「ルパン三世」やった時。
わたしゃ、トロンボーン担当なのに、無理矢理ねじ込んで、この曲だけシンセ担当しましたw。

高校の時は、うちの高校は、音楽の授業の期末試験は自由課題だったもので、高校1年生の時はこれと友達から借りたRoland SH-2, CSQ-100, Saturnを音楽室に持ち込んで、YMOのライディーンを、同級生でブラバンでクラリネットやってた友人と2人でライブ演奏、2年の時は、カセットレコーダー2台でピンポン録音で作ったバックトラックを流しつつ、千のナイフを演奏しましたな。

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当時のうちの高校、とある事情で、「ロック・エレキ禁止」だったことが一部の世間で有名なんですが、シンセサイザーに関しては、当時はクラシック畑の冨田勲氏が有名だったし、YMOも、どちらかというと新しい電子音楽という捉え方をされてたし、そもそも、音楽の先生がシンセサイザー珍しがってた状態だったんで、OKだったんですな。
なんてことを思い出して・・・で、ふと気がついたんですが・・・・。

・・・・あんとき、そういえば、音楽室での本番前のセッティングの時、同級生の松本君も、これ、触ってたよな。「おぉ、これがシンセサイザーか、すげー、ちょと見せてくれ」とか言いながら・・・・。
・・・これ、もしかして、彼が触れた、最初のシンセか?

・・・もしかしたら、これ、とっても貴重なシンセサイザーかもしんないな、なんてことを、ちょっと考えてた今日この頃でした。

え? 松本君? 
いや、高校の同級生で、ブラスバンドでクラリネット吹いてて、すぐ退部しちゃった人です。
彼がギター弾いてるなんて、当時、知らなかったし、サーベルタイガーなんてバンドやってるてことも、ちっとも知りませんでしたが。
卒業後、再会する機会もなく死んじゃった、高校時代の同級生です。

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2012年2月10日 (金)

とある呪術師の覚え書きより抜粋

薬とは、人の病を癒し、人に健康を取り戻させるものである。
が、用法を誤ったり、過度に使ったりすれば、かえって人の病を重くし、災いをもたらすこともある。

毒とは、人の健康を害し、人に災いを為すものである。
しかし、薄め、少量を使うことで、人の病を癒し、薬となるものもある。

薬と毒は表裏一体、使い方次第で、人を癒すし、害も為す。
薬効というものは、本来的に善でも悪でもない。
ただ、作用があり、それが人にとって、たまたま利益になったり不利益になったりするだけのこと。

力というものは、作用と反作用で出来ている。
何かに力を加えれば、反対に向かう力というものが、必ず存在する。
物理学の基本であり、錬金術で言う所の「等価交換」である。

人の思念というものも、他の人に作用し、何らかの力を及ぼすことがある。
他の人に触れずに、人に作用をもたらす強い思念を、「呪」と言う。
呪い(まじない)とも読むが、呪は、「まじく」とも読むそうだ。

西洋で言う所のmagicとも関連する。
magicは、魔術や手品と訳されるが、本来は「呪術」のことを指す。

呪術もまた、その行為と結果は作用と反作用の理(ことわり)の内にある。
その目的が「善意」であろうと「害意」であろうと、それそのものは、単なる作用でしかない。
そして、それに対する反作用があり、これもまた、善悪の別、人にとっての都合の善し悪しに関わらない「力」である。

人に強い作用を及ぼす力を持つものに、「美」というものがある。
人が生み出す「美」には、色々な種類があるが、これらもまた、「呪」である。
人に作用するほどの「美」には、作者の思念が宿る。
作品にそれほどの強い思念を込めれば、これもまた、作用と反作用の理が働く。

それを観賞するものにも、生み出したものにも、それぞれ強い作用を及ぼす。
美もまた、人を癒し、救うこともあれば、人の健康を害し、狂わせるものでもある。

良き思念も、受け手次第で毒になり、悪しき思念も、受け手により善に成る。
力そのものには、本来的に善悪は宿らない。受け手に作用して始めて、意味が生ずる。

己が作り出したものに、ひとに作用するほどの思念を宿らせ、「呪」と成らしめることを、「術」という。
生み出したものが、身から離しても尚、人に作用するほどの力を扱うのであるから、当然、術者は強い力の作用を受けなければならない。
その力に耐え、作り出したものに強い力を宿らせる為には、術の高さが求められる。
術者は、「創ろうとする力」と、「生み出された力」の両者に耐えなければならない。
術が拙ければ、力は、己がだけに作用し、術者の身を損ねるだろう。

「呪」を為さんとする者は、このことを肝に銘じ、常に心して術を磨き、為さなければならない。

注)抜粋とか書いてるけど、引用とかではなくて、一応私が書いたオリジナル作です。念のため。

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2011年11月 3日 (木)

バンド名

さっき、電話で友人と話をしていて、バンド名って、大事だよねぇ、という話になったんだが。

それで、ふと頭をよぎったのが、GARNET CROWというバンド。

今まで名前を聞いた中で、私的に、最も美しい名前だなぁ、と思ったバンドだったりする。
もう、バンド名だけで、ごはん3杯いけちゃうくらい、良い名前だ。
・・・って、小食なんで、そもそも、そんなに食べられませんけど。

で、そんなにGARNET CROWが好きかと言われると・・・実は、あまり曲聴いたことが無いし、どんな曲やってたかも思い出せないんですがw。

あ、でも、ここのキーボードの女の子、すごく好みのタイプです。
(・・・GARNET CROWに謝りなさいっ!)

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2011年10月 7日 (金)

あるロック・スターの死

以前にも紹介・・・しようとして、忘れてたみたいなんですが・・・。
Steve Jobs氏をロック・スターに例えた、IT Mediaのこの記事は、素晴らしい。

ロックスター、スティーブ・ジョブズの偽歴史

良くも悪くも、とても特徴的で、類を見ないキャラクターの強さを持った彼は、カリスマ経営者とか、IT業界の何とか、とか、そういう表現がしっくり来ないと、つねづね思っていた。

この記事を読んで、なんかすっきりとした。
そうそう、そういう存在だったんだよね。

MacintoshやiPod、iPhoneやiPadに息づく、その強い個性の目指した哲学や世界観。
単に環境としてのパソコンやスマートフォンとは一線を画す存在感と意志。
それらは単なるデバイスなのに、一部からは強烈に愛され、また、一部からは強烈に嫌われる。
多分、単なる単体の道具たちなら、そこまで愛されたり憎まれたりはしないんじゃないかな。

彼が目指したのは、それぞれの製品の善し悪しやら性能やらではなくて、それらがあることによって、人の生活に、どのような変化と驚きをもたらしたいか、というビジョンを描くことだったと思う。

要は、それらが総合して描かれる、スティーブ・ジョブズの提示する世界が好きか嫌いか、なんだと思う。

それって、つまり、「製品」ではなくて、「作品」ってことなんじゃないかな。

そんだけ個人的な夢と哲学の実現に徹してて、世界一の資産価値の会社を育て上げちゃった人間なんだもの。存在として、確かにジョン・レノンやマイケルジャクソンの系統であって、ビル・ゲイツとかじゃないと思うよ。

なんにしても、時代を駆け抜けた偉大な才能が、天命を終えた。

今は、これまでに見せてくれた素晴らしいパフォーマンスに心から感謝し、冥福を祈りたい。

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2011年10月 1日 (土)

アメピグで、部屋をライブハウスっぽく改装してみた。

まったく、我ながら、あほなことに無駄遣いして・・・・。

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あとはこれで音声・音楽データのストリーミング配信なんぞが出来るなら疑似ライブや疑似DJイベント的なものも可能になるので、ピグのイベントっちゅうのが、我々にとってもなにげに意味が出てくるのだが・・・・。

ま、とてもあのサーバーが、そんな負荷に耐えられるとは思えないんですけどね。

それはそれとして・・・。
アイテムで、ピアノ以外のキーボードが欲しいものだ。
あと、PAミキサーとか、ギター・ベースアンプとか、エフェクトラックとか・・・。

・・・いや、そんなもん、高い値段で売られたひにゃ、それこそやつらの思うつぼだなw。

しかし、アメピグの部屋造りって・・・なにげに一種の箱庭療法的な・・・。

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2011年9月17日 (土)

iPad用オーディオインターフェース

これ、かっこいいなぁ。

ALESISの出した、iPad専用のオーディオI/O。
マイクプリアンプ、Hi/z切り替えも付いたオーディオIN、USB/MIDI端子、高品位のヘッドフォンアンプ等々、iPadを本格的にオーディオツールとして使うための機能が装備されている。

私は残念ながら、まだiPadを持ってないんだけどね。
でも、これがあれば、iPadを本格的な音楽ツールとして使えそう。

iPadのタッチ式のインターフェースって、音楽用ツールとして使うのに、とても向いていると思うのでね。感覚的、直感的に操作出来そうなので。
これは、そういう音楽ソフト類を使う場合に、本体では足りない部分を過不足なく補ってて、しかも、本体と一体になって一つの完結した楽器みたいに出来るので、とても使いやすそうだ。

スペックと本体写真を見た限りで、私が指摘出来る、実に基本的な欠陥は1点のみ。
ヘッドフォン端子は、特別な理由がない限り、右サイドではなく、左再度に設けるべきだったね。

iPad用の音楽系ソフトもけっこう充実してきてるし、いよいよ、iPadが欲しくなってきた。

まぁ、もちろん、現時点でのiPadでは、あくまでもモバイル環境、サブ環境であって、メイン環境のDAW環境をリプレイスするようなものではないわけなのだけどね。

ただ、現時点でも、モバイルの作曲ツール・レコーダー、フィジカルインターフェース、ライブでの飛び道具的なインスト、DJ等のパフォーマンス用のデバイスとしては、かなり使えるものになりつつある・・・ような気がするが、何せ、持ってないからなw。

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2011年9月14日 (水)

色々とリハビリが必要なのだな。

とりあえず、ずいぶんと久しぶりに色々と音をいぢってみたりしてたのだけど、何というか、こう、頭の中で、うまく音にピントが合わない感じで。

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故障で入院してて、すっかり筋肉が衰えて退院してきたスポーツ選手も、こんな感じなんだろか、という感じの、故障箇所が気になって、どうしてもこわごわと動かざるを得なくて、思うように体が動かせないようなもどかしさというか、なんか、違和感がつきまとう。

そういえば、これまたなんか不調だったMacの方は、デスクトップデータベースを再構築したら、すっきり治った。
なんか基本中の基本な対処なのだけど、最近のMacはとても安定してるもんで、恥ずかしながら、こういう基本的な対処法をすっかり忘れてた今日この頃。
MacもOS7.5の頃から使ってるんですけどねぇ。

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2011年9月10日 (土)

日本の歴代アーティストで一番歌が上手いと思うのは、誰?

美空ひばりさんだというのが、大勢の意見みたいなのだけど。

私は、岩崎宏美さんだと思ってるのだけどね・・・・。


そうか・・・。
ここでピアノ弾いてる羽田健太郎さんも、作詩の阿久悠さんも、作曲の三木たかしさんも、もう亡くなったんだなぁ。


ともかく、この方の高音域に行った時の声の延び方、独特な響き方を聴くと、ほんとにゾクゾクするんですよね、私は。

世代的なものかもしれないのだけど、私には、美空ひばりさんの良さ、凄さというのが、実はさっぱりわからんのです。

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2011年8月23日 (火)

へそまがり・逆恨みの音楽

思えば、私のやってきた音楽表現ってのは、「へそまがりの音楽」であり、「逆恨みの音楽」であり、「いびつな音楽」であったと思う。

私が音楽やってきた環境というのは・・・・

「ギター1本と良い唄があれば、音楽なんて十分成立する」
「演歌は日本人の心だ」
「やっぱり、シンプルなのが一番良い」
「コンピューターで音楽やるなんて、人間的じゃない」
「打ち込みって不自然で、ダメだよね」
「ジャズがわかってないやつは・・・」
「紙と鉛筆だけで作曲出来ないと、本当じゃぁない」
「バンドなんて、スリーピース(ギター、ベース、ドラム)で十分」

という世界だったりする。
まぁ、書いてて反吐が出そうになるんで、このあたりの言われ方がトラウマと言っても良いかもしれない。

正直、未だに(大半の)演歌には憎しみしか覚えないし、いわゆるスリーピースのバンドって、ほとんどあまり興味が持てない。
ギター一本でヘタな歌聞かされると、たまに殺意を覚えるw。
まぁ、完全に逆恨みなのだけど。

・・・って、そんなこと書いてて、そういえば、その昔、こんな記事を書いてたのをふと思い出した。この記事の考えについては全く変わっていないが、この頃の方が、今より大人だったらしいw。

ま、それはともかく・・・。

シンセサイザーとシーケンサー、サンプラーが世に出てから、そんなくびきから逃れて、作ったもの、表現が面白いかどうかでボーダレスに勝負出来る世界になったと思ってたんだが・・・。
どうも、そんなのは、80年代、しかも、その時期にテクノ・ニューウェーブの洗礼を受けた物限定の感覚なのかもしれない。
今時の若いもんは、意外と保守的みたいだ。・・・って、歳とったなぁ、我ながら。

いまさら、お前らのSPEC自慢なんぞ、聞きたもくない。面白いもの、新しいものを聴かせてくれ。

その昔、あるテレビ番組で、細野晴臣氏が某音楽教室のガキどもに音楽の課題出したら、揃いも揃ってフュージョンみたいな曲を作ってきたのに対して言ってた台詞だが・・・
「若い人はね、もっと感覚をグッチャグチャにしなきゃ、ダメですよ。こんなのは、若い人のやることじゃありません」

・・・書いてて思ったが、細野さんだって、当時まだ30代だった筈だな。
当時の私は、そのガキどもの年齢だったわけなんだが。

まぁ、グチャグチャかどうかは知らんけど、私がやっていて、こだわっていて、また目指してたのは、そんな「いびつな」音楽でした。

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2011年7月20日 (水)

右耳の鼓膜が薄い私・・・。

そういえば、先日の診察の時に初めて言われたのだけど、私の右耳、鼓膜が通常よりやや薄いんだそうな。

耳の病気が多くて、こんだけ色々と診察受けてるのに、今回初めて言われた。
「大きな音を聴いたりした時に、耳が鳴ったりしませんでしたか?」って言われたんだけど、いや、確かに、右耳、ライブハウスの大音響とかにさらされると、かなり不快なビビリや、振動や共振とかを感じてたのだよね。

実のところ、こんだけライブハウスに出る身でありながら、あまりライブハウスとか行きたくない一因でもあったのだけど、そういう問題もあったのね。

結局の所、医療って、医者個人のスキルに頼る部分がほんとに多いと痛感することしきりなのだけど、特に耳のことって、医師別に分野の得手不得手の個人差が激しすぎるような気がします。

その後の経過としては・・・・。

とりあえず、閉塞感とか、聞こえづらいという状態は、両耳とも脱しつつあるのだけど、平衡感覚の不安定感とかが残っている感じ。

あと、初の症状だが、耳に水が入った時そっくりな、変な低音の残響感が、両耳に現れた。
いや、これ、閉塞感がなくなったので、初めて気がついただけなのかな。
これがものすごく不快で、ヘッドフォンや電話が出来ない。

わざとドスドス歩いても、振動が水に反響する感じで脳に響く。
けっこう、辛い。

耳の後ろの特定の箇所に指が当たると、より悪化して気持ち悪くなる。
これは、頭を洗ってる時に気がついた。

ほんと、難儀ですわ。

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